昭和60年代に入り、たばこ耕作が終わった後のたばこ祭には、秦野市民が秦野を誇れるような内容を求められました。
主催者は第40回(昭和62年)にたばこ祭検討委員会を組織し、祭の内容を充実、改良することにしました。
その結果、たばこ祭のテーマを「たばこ」と縁のある「火」とし、その「火」をイメージした新しい行事として、ジャンボ火起こし綱引きコンテストが登場、竿灯パレードもフロートパレードと名称を変え、その創意を競うコンテストを行うなど、祭を盛り上げる様々なイベントが企画されました。
第42回(平成元年)から、姉妹都市である諏訪市より御諏訪太鼓などを招聘、パレードやステージの充実を図りました。
しかし、バブル景気の影響から祭は派手で見栄えのするものが好まれるようになり、地元の伝統的な祭よりも市外県外のフェスティバル要素が強いものが好まれるようになりました。
そして第59回(平成18年)から学生たちが自主的に企画運営する秦野版よさこい-はだのよさこい踊りなどが、たばこ祭に加わりました。
第60回(平成19年)からは、往時の華やかさを取り戻そうと、青森ねぶたを招聘し、その際のハネトやねぶたの引き手には、市民が参加しました。第70回を最後に、青森ねぶたの招聘は終了しましたが、たばこ音頭千人パレードや、はだのよさこい踊り、フロートパレード、らんたん巡行など、秦野たばこ祭は多くの市民の参加により行っています。
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