その後、特に目新しい催し物は誕生しませんでしたが、同じ行事に工夫がこらされ年々盛大になりました。
第13回(昭和35年)の弘法の火祭は、弘法山山頂において、たばこ豊作祈願祭を行うと共に、水無川河川敷に設置された大松明に点火するというもので、現在の弘法の火祭に近い形のものでした。もっとも大きな違いは、松明の材料にたばこの残幹を使用した点です。
竿灯パレードも弘法の火祭から独立した行事となりました。竿灯の運び手も、人間、牛車、自動車と時代の変遷ともに変化しました。
第16回(昭和38年)のたばこ祭のたばこ音頭大会については、特に盛り上がったようで、当時の神奈川新聞に、
婦人連、踊りまくる、盛り上がる秦野たばこ祭、22日夜には市内中心地、大通りで、レクリエーション協会のご婦人たち約1千人による『たばこ音頭大会』が行われた。
揃いのユカタ、赤いはなおのぞうり、タスキがけ姿は圧巻で約3万人の見物客を前に祭りの雰囲気を盛り上げた。
とあります。当時からたばこ音頭大会は1千人規模だったのには驚きです。